冬の金沢への旅 2004.11.9
  今回は紅葉を見るために、京都の一乗寺・修学院近辺へ自家用車にて日帰りで行ってきました。
☆訪れた寺院
  金福寺、詩仙堂、曼珠院
▼金福寺
洛北の金福寺は俳句の聖地といわれていて、もとは貞観6年(864)、安恵(あんね)僧都が慈覚大師、円仁の遺志により創建した天台宗の寺であったが、元禄年間に鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺となった。当時、庵に閑居していた和尚を芭蕉が訪ねて親交が深まり、和尚はその庵を芭蕉庵と名づけたが、和尚の死後、荒廃した。現在の芭蕉庵は、その80年後に訪れた蕪村が再興したものである。芭蕉の碑、芭蕉像、蕪村の遺愛品なども残されている。
▼詩仙堂
もとは江戸初期の文人、石川丈山が隠棲した山荘であった詩仙堂は、丈山寺という名の曹洞宗の寺である。丈山は徳川家康の家臣で、90歳までこの山荘で悠悠自適の風雅な暮しをしたが、その一室の壁に、狩野探幽に描かせた中国の詩仙三十六人の肖像と詩があることから、いつからか詩仙堂と呼ばれるようになった。回遊式の庭は白砂とさつきの刈り込みが美しく、藤、花菖蒲、杜若、紫陽花、萩、山茶花など、四季それぞれに美しい花姿が見られる。
▼曼珠院
最澄が比叡山に草創した東尾坊が天暦元年(945)に門跡寺院となり、平安後期から曼殊院と称された。現在地に移ったのは江戸初期の明暦2年(1656)。虎の間、大書院、小書院、庫裡は重文。建築、庭園ともに創意に満ち、狩野永徳や探幽の襖絵があり、欄間、釘隠し、襖の引手など細部の意匠にも美意識が宿っている。「十雪の間」の違い棚は桂離宮と同じ様式で、同時に作られたものという。本尊は阿弥陀如来。庭園は遠州好みの枯山水で鶴島と亀島がある。


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